特にやることもないので、日記を始めることにした。

 

いかに自分が無意味に生きているかを再確認するようだが、

天井を眺めるより、髪の毛の本数を数えるより

もう少し意味があるように思えたのだ。

 

 

今日は9時頃に目が覚めた。

ここ最近はアラームをかけずに寝る毎日だが、

なぜか不思議と朝のうちに起きるのであった。

 

というのも、三月末までしていた仕事は

夕方の18時に家を出て、大酒を飲んで働いて

日の昇る明朝5時に帰宅するような、そんな仕事だった。

そうなると6時に寝たとしても、アラームをかけずに寝れば

気がつく頃には夕方の18時である。

 

毎日10時間寝ても眠い。

毎日眠いので、毎日エナジードリンクを飲んでいた。

そして12時間寝られれば嬉しい。

そんな生活の中にいたので、自分はいわゆる

ロングスリーパーなのだと考えて生きていた。

 

ところがどっこい。

今では夜は早くて0時、遅くても2時頃には布団に入る毎日。

しかし遅くても10時には自然に起きてしまうだ。

早ければ7時頃に。

驚いた。

 

自分が、そんなまっとうな人間らしいリズムで生きられるとは、思いもしなかった。

 

昼夜逆転の生活、大酒飲み、そして毎日のエナジードリンク

わたしから人間らしい生活リズムを取り上げていたのだろう。

 

夜寝て朝起きて、酒を一滴も飲まず、カフェイン断ちをした。

当初わたしを苦しめたカフェイン中毒離脱症状は、とても凄惨なものだった。

 

 

そもそも、自分にカフェイン中毒があることは気付いていた。

 

”それ”に気づいたのは昨年。

連休でエナジードリンクを飲まずにいた二日目、

わたしは上野で休暇を楽しんでいた。

 

お昼になる頃だっただろうか。

わたしは上野の科学博物館で開催された、太古の動物の博覧会に来ていた。

古代生物が好きで、巨大生物が好きで、

それらを一人で見て回るのがまた、好きだった。

 

いえ、今も好きなのだが、今はそうできない状況のために

一刻も早くそうしたい気持ちを込めて、過去形にした。

 

とにかく、春休み中の子供たちやその両親の視線に耐えながら、

ひとりで興奮を噛み締めていたわけである。

 

大きく勇ましいティラノサウルスに、天にも昇るブラキオザウルス。

小さく小賢しいラプトルは、今にも舌舐めずりをするようだった。

 

さあ次はホモサピエンス時代。

人間に興味はないが、どうせ見るなら全部見よう。

そう意気込んだ時に気が付いた。

 

頭が、割れんばかりに痛いのだ。

それはもう、歩幅も半減するほどに。

 

もしかしたらもっと前から痛かったのかもしれない

恐竜や大きなマッコウクジラ、熊の剥製に夢中になっていて

痛みに気が向かなかっただけかもしれないが

 

こんなことはたまに身に起こっていた。

思えば、地元から東京に遊びに来ているときくらいではあったが。

渋谷の109をてっぺんからつま先まで見て回っているとき、

原宿のラフォーレの難解階層をいざ攻略せんとしたとき。

 

ときかくその日は特に酷かったのを良く覚えている。

群発ではないかと感じるほどの頭痛に耐えながら、根性で博覧会を攻略した。

途中館内のベンチで、喜寿も過ぎたであろう老人と

一緒にため息をついて憩ったのを忘れもしない。

 

外に出ると暖かい日差しに包まれた。

館内で熱中症でもあるまいが、しかし頭痛は増すばかり。

 

あまりの頭痛に目眩や吐き気までしてきて、

少し体調が悪くても限界まで放っておくわたしですら、

これはやばいかもしれない、そう感じるほどの不調になっていた。

 

視界の端に交番を捉えた時には、

「この足がもつれたらあの交番に助けを求めよう」

そう脳裏に浮かびさえした。

 

そう急いで大事にする前に、まず応急措置をしてみようと思い立ち、

近くにあったコンビニに駆け込んだ。

そこはがイートインがあるようで、快適に涼めたのであった。

なにか水分補給をと考えたわたしが手に取ったのは、

 

見慣れたあのエナジードリンクだった。

 

今考えても、なぜ数多のドリンクの中からそれを選んだのか

自分を理解することはできない。

しかしあのとき確かに、それは自分を救う手段だと思えたのだった。

 

そして実際にそれは、救いとなった。

 

それを半分ほど飲んで、10分ほど携帯画面を見つめていた。

やばい。

めっちゃ頭痛い。

死ぬかも。

うえ。

無理~~

休憩してる。

今見返しても地獄のようなうわごとを投稿し続けながら。

 

変化はすぐに訪れた。

あんなに苦しんだ頭痛が、そのうちに止んだのだ。

少しの余韻はあれど、驚くほどに薄まっている。

当時の投稿にも、その驚きは記されていた。

 

驚いたそのまま、検索欄に入れたワードが

カフェイン中毒」だった。

いつかなるぞと脅されながら愛飲5年ほど。

これだ。

そう確信して調べれば、面白いほどにヒットする。

不眠、手の震え、酷い月経痛、頭痛、目眩、吐き気

自分の抱える問題のほとんどが、それで片付いたのだった。

 

自分はカフェイン中毒であり、今の諸症状は離脱症状によるものである

そうハッキリ自覚したのが、去年の春の出来事だった。

 

その日からわたしは、片時もカフェインを欠かすことはなかった。

まだ数日だって飲まなければ、あんなに苦しむのだと思うと

休みの日にも飲んだし、仕事の日は2本飲んだ。

それで寝られなくなることはほとんどなかったが、

シャンパンとの相性は最悪だった。

エナジードリンクを2本飲んで、シャンパンを2本飲んで。

若さ故か二日酔いはしない質ですが、ただ入眠だけが出来ない日々を送った。

 

 

そんな毎日を過ごしてきた三月末、わたしは退職した。引っ越しを理由にして。

引っ越し当日の朝まで飲んでいたわたしは、よく頑張ったなと

誰かに褒められるべきなのだが、未だ褒めて貰ったことはない。

 

新居はとても気に入っているが、なにせこのご時世ですからすることが無いのである。

 

引っ越してから二日目に、徒歩30分の大型量販店に出かけた。

新生活に浮かれて大量に購入したが、力や体力には自信があったので

全て手で持って新居に連れて帰る算段でいた。

 

可愛い食器に便利なラック、綺麗な照明に大きなクッション。

興奮冷めやらぬままレジも終わらせた頃、覚えのある感覚に出会った。

 

頭が、割れんばかりに痛いのだ。

 

 これは良くない。

そう直感するやいなや開いたのはタクシー配車アプリ。

一刻も早くこの苦しみから解放されるべく、金にものを言わせたのであった。

 

頭を抱えながらタクシーに乗り込んだ後のことは、あまりよく覚えていない。

と言うのも、元々タクシーに乗ると酷く酔う体質だったために、

頭痛と車酔いのダブルパンチに、道中喘ぎ苦しんでいたのだった。

 

ただ車窓から見える町並みを見つめては、

ああこんなところに郵便局があるのか。

ああここからはスカイツリーが見えるのか。

そんなことを考えては、自身の不調を忘れようとしていたのかもしれない。

 

新居に着いてからも地獄は続いた。

ベッドに横たわり天井を見つめていても、冷めやらぬ頭痛。

スマホの画面を見ても、頭痛に気をとられては何もすることが出来ない。

 

そんな苦痛の日々が1週間は続いたように記憶している。

あるときは頭痛、あるときは異常な睡眠時間の減少

またあるときは食欲の減退(食欲の化身とも自負するこのわたしが、である)

そんな異変を伴って、わたしからカフェインは去ろうとしていた。

 

ここまで来ると、もはや負けてなるものか、と

そんな気持ちにさえなった。

 

ここで負ければまた、辞めたくなった時に苦痛を味わうのだ。

こんなにも長い間エナジードリンクを飲まなかったのは、

本当に5年ぶりとか、そんな遠い昔以来であった。

 

余談だがわたしはコーヒーが飲めない。

よくカフェイン中毒の記事を見ると、コーヒーを毎日何杯も飲んだだとか

そんな記事が散見されるが、そんなことは断じてなかった。

極度の甘党で、ブラックコーヒーはおろか

カフェオレにだって、スティックシュガーを7本ばかりい入れなければ

満足に飲むことも出来なかったのだ。

 

そう考えると、わたしはエナジードリンクひとつで

ここまでひどいカフェイン中毒に陥ったのかと、感嘆さえした。

 

断つと決めたその日からは、エナジードリンクを飲まず。

実家から持ってきたカフェオレも飲まなかった。

いや、実は一度飲んだが、あまりに苦くて飲み切ることができなかった。

飲むためには砂糖が要るが、今はその砂糖を買うのを我慢している。

 

そして大好きなチョコレートも控え始めた。

調べてみるとわかるのだが、カフェインには中毒以外にも悪影響があるらしい。

歯に付着して見苦しくなるだとか、そもそも痛い出費だとか。

そんなわけで、断った。

確かに毎日のエナジードリンク、チョコレート、砂糖たっぷりのカフェオレ。

どれも美味しく、甘く、そして積もれば山となる、塵そのものだった。

 

 

そうして、カフェイン断ちから一か月が経った。

 

今もまだ、負けていない。

というよりも、カフェインを摂りたい欲求がなくなった。

 

そもそもエナジードリンクは、眠気覚ましというよりも

美味しい炭酸ジュースとして飲んでいたのだが。

 

炭酸が飲みたくなれば、サイダーを飲んだ。

 

チョコが食べたくなれば、甘いお菓子をたまに食べた。

 

カフェオレが飲みたくなる日は、まだ来ていない。

 

変化らしい変化といえば、慢性的だった頭痛が和らいだ。

緊張型頭痛と片頭痛を持ち合わせていたが、最近痛まないような気がする。

それでも、低気圧には負けるのだが。

 

それから睡眠時間。

以前はアラームをかけずに布団に入れば、半日以上は寝ていたものだった。

今では8時間も寝られない。

そう知人に零したところ、「それが普通の人間だ」と呆れていた。

そうか、これが普通の人間の生活か。

 

あとはまあ、出費が減ったことだろうか。

エナジードリンクが1本200円ほどだった。

それを仕事のある日は毎日1本、そしてたまに2本飲んでいた。

毎月6千円以上の出費になっていた。

それがごっそり浮いたのである。

 

浮いた金で何を買おうかと考えれば、あまり思い浮かばない。

趣味に使うにも、例のウイルスで使う場所がないのだ。

趣味にかける以外に、こんなにも自分に物欲がなかったのかと驚いた。

 

買おうと思えばいくらでも欲しいものはあるだろう。

あのブランドのバックが欲しい。

このかわいいテーブルが欲しい。

その新しい化粧品が欲しい。

だがどれも、大切なお金を消費して手にするのは惜しいと思えた。

 

そう考えると、趣味は偉大だった。

新譜が出れば大量に買った。

グッズは使用用と保存用を買った。

使わなくても、飾る用に買った。

趣味のために、遠く遠征することも厭わなかった。

そのために明日のご飯がもやしになろうとも、それで良かった。

新譜を200枚買うその25万円でほかの贅沢ができようとも、

新譜を200枚買えれば満足だった。

 

今はどうか。

新譜を出してもイベントはしない。

つまり大量に購入する意味はない。

イベントがないのでグッズも出ない。

国内外のイベントがないので遠征もしない。

毎日、ネット上にアップされる申し訳程度のコンテンツを繰り返し見る。

 

虚無だった。

自分は、この趣味のために生きて、そのために働いていた。

目標地点を見失ったアリのように、今はただ生きていた。

 

それでもいつかまた、徐々に趣味が再開されるのを待つしかない。

今はただ、再会の時を待つために生きている。

 

また会うことができたなら何を話そうか。

元気でいたか?

ご飯はよく食べられていたか?

夜はよく寝られていたか?

母親なのかと言われても心外ではない。

 

そう問うためには、自分もそうでなくてはならない。

よく食べ、よく寝て、よく運動をして、健康でいてようやく

笑顔でまた会えるのだ。

 

 

 

夕方になる。

 

おやつを食べて、運動をするとしよう。

 

また会える日の笑顔のために。